2007年05月18日

ニューロマンサー再び

ニューロマンサー:著)ウイリアム・ギブソン、もよりの古本屋にて\105で入手。

20年前に読んだ時は、何が書いてあるかさっぱり分からなかった、それでも読んだ事にしておいて、サイバーパンクマニアを自称する友人とこの本について話りあった。

今、読み返すと随分誤読していることが分かる。奴もそれを指摘しなかった所をみると、読んでいなかったのか、読んでも訳が分からなかったのかどちらかだ。
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2007年02月19日

読書 リバタリアン宣言

リバタリアン宣言 著:蔵研也 朝日新書

身銭で買うのも癪だから、立ち読み。

所謂、資本主義的無政府主義のすすめ。私としては、微妙なものを供された、阿藤快のような感想しか出てこない。ブックオフの100円コーナーに並ぶようになったら購入して、細かく難癖つけてみよう。
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2006年04月09日

we must be over the rainbow.

再び、中古CDショップのワゴン・セールにてRainbowのlive in germany 1976を入手。聴いてみると、なんか元気になるなあ。

Rainbowは中世をテーマにした曲が多い。

先日、ゲームマニアの青年(当然ヨーロッパ中世を舞台にしたようなRPGが好きである)の中世史への知識の無さにあきれ、エクスカリバーから始まってアーサ王伝説についてびっしり教えてやった。しかし、えらそうな事を言っているが私の知識もかなりあやふやである。

この機会に、岩波文庫の「ギリシャ・ローマ神話」「中世騎士物語」ついでに「カンタベリー物語」も再読しようか。
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2006年03月26日

この本はオッカムのカミソリのようだ

遅らばせながら、「ニート」って言うな!を購入。

注意しているつもりだったのだが、自分がメディアの流す悪意ある情報に汚染されているのが分かった。ニートという言葉に余計なものがつきすぎている、この本はオッカムのカミソリのようだ。

どうも問題なのは、若年層よりもヘタレ中高年のようだ。
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2006年03月22日

出所を知っていれば

大泉実成さんの新刊が、「萌えの研究」講談社刊で意外に思い手に取ってみるとウィトゲンシュタインの引用がある。『哲学探究』の一部66節と67節で、ゲームについて述べている節である。要はチェスやテニスなどには家族的類似性があると述べた部分である。大泉さんはゲームの部分に「萌え」を置き換えてみると萌えの定義にあてはまるのではないかと言う。

1999年に起きたJOC事故のため、大泉さんの両親は被爆し母親はPTSDのため事故について語ることが出来なかったが4年たってそれを語りはじめた。大泉さんは自分の想像を超えるその話を、どの様に伝えたらいいか途方にくれていた。そんな時に萌えテーマの提案があった。はじめはなにをとんちんかんなことを、と思ったが大泉さんがかつて綾波レイにはまっていた事があり、萌えに借りがあるとと感じこの提案を引き受けた。

引き受けてみると、母親の内面を表現する方法論を美少女ゲームから学んだというから面白い。

専門家のところに話を聞きにいくと言った形ではなく、大泉さんと担当編集者のオタク知識のほとんどない2人がライトノベルや美少女ゲームを実体験してみる形式がいい。

大泉さんが、女の子の気持ちを大切にするような美少女ゲームをプレイし続けているうちに、激しく疲弊し身動きが取れなくなったのは、宮台真司さんが女の子のレイプ体験の話を聞き続けてインポになってしまった話をおもいださせる、美少女ゲーム恐るべしだ。

それに時々引用される、『万年萌えカレンダー』というものが面白い。
「語りえぬ萌えについては、沈黙せねばならない」「君の属性には反対だ。だが君がそれに『ハアハア』する権利は死んでも守るつもりだ」だって、思わず苦笑。


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2006年01月03日

あとから効いてくるみたいだ

それで正月らしいことをしようかと思い、年末に買った「百人一首の作者たち」(著:目崎徳得 角川文庫)、を読んだ。どこが正月らしいんだ。

この本によれば、万葉集が重要視される様になったのは明治維新以降のことで、それ以前は「小倉百人一首」が古典として重んじられていたらしい。と言う事は「小倉百人一首」は日本において、ヨーロッパにおける「ギリシャ神話」のような機能を果たしていたのではないかと、私は思った。

それにしても最近、高校生の時に古典をしっかり勉強しておけばよかったのに、と思うことが多い。
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2005年12月16日

私もだらだらするのが好きです

「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」を購入。

ウィトゲンシュタインの著作を読むときは、集中力全開にしてその時の体内の栄養は脳に集めないと解読不可能。だが本書は日記だけに読み易い。

ウィトゲンシュタインも女性のことで、うじうじ悩んでいたりしている。この辺は私と変わらないなあ。

「私はだらだらするのが好きだ。」P26

 私も好きです。

「私の頭脳は本当に鈍くしか働かない。残念だ。」p154

 あなたにそんな事、言われてしまったら、私たちはどうしたらいいんだ。

これを読み終えたら、訳者の鬼界彰男さんの「ウィトゲンシュタインはこう考えた」を読んでみよう。

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2005年12月11日

下流社会なんぞ甘い甘い

「近代の奈落」 宮崎学(著) 幻冬社アウトロー文庫

下流社会なんぞ生ぬるい、甘すぎる。それよりももっと下の奈落に生き、そこから這い上がろうとする人々のレポートである。

しかし、このようなレポートにありがちな暗さや悲惨さはほとんど無い。それどころか、読み終えたあとは、胆になにやら力がみなぎる。それは、この本に登場する人物が皆、体温が熱くそしてタフだからだ。宮崎親分がなぜ本書をアウトロー文庫に収めたのかその理由はそんな所にあるのだろう。

宮台真司さんの解説も力作。

本書をもって「ネオリベ」の横っ面を撃つべし。
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2005年12月06日

いつの間にか出てた

「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」
ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(著) 講談社

いつの間にか出版されていた。40何年かぶりで日記が発見されたとは聞いていたが、出版されていたとは、とにかく読んでみなくては。
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2005年12月01日

虫でなく蟲

蟲師 漆原友紀(著 アフタヌーンKC講談社

深夜のアニメで見て面白そうだったので、単行本6巻を大人買い。

水木しげる+諸星大二郎+泉鏡花という感じ。冬の夜にじっくりと読むのに手ごろである。
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2005年11月30日

SPAのペイバック

「下流社会」でネガティブな扱いをうけた「SPA」が、このところ開き直り的な記事を掲載している。

「今さら脂ぎったオヤジのようなことやれっかよ」と行間から読める。
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2005年11月27日

憎しみは憎しみしか生み出さないのか

コンビニで「鋼の錬金術師」の新刊を立ち読み。

私のお気に入りのキャラ、復讐鬼スカー(傷の男)のセリフ「どこへいっても、憎しみは憎しみしか生みださないのか」。

考えてみると「鋼の錬金術師」は手塚治虫の「どろろ」のバリエーションだと思う。
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2005年11月24日

紙つぶて破壊力は何を呼び出すか

怪文書 六角弘(著) 光文社新書

パソコン・ワープロの普及する以前は怪文書の作成も容易でなかった。たいていは深夜、自室あるいは押入れの中で、それは行われた。

筆跡が分からない様に定規をあてがい、あるいは新聞や雑誌の活字を切り取りつなぎ合わせて、また鉄筆でガリ版をカリカリと、自らの怨念や怒りをそこへ刻みこんでいた。

現在は情報伝達技術の革新により、怪文書は作り易くなっている。

銃の発明が民主主義を生みだした。では情報伝達技術の発達は何を生み出すのだろうか。

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2005年11月07日

寝酒代わりに

カゼがなかなか治らない。ほとんど良くはなっているのだが、もともと喘息持ちなのでセキがなかなか止まらない。

という訳で毎日、夜更かしせずに、さっさとふとんをかぶって寝てしまっているのだが、うとうとした所でセキに襲われて目が覚めてしまう。そんな時に最近読んでいるのが「華国風味」青木正児著、岩波文庫だ。

ずいぶん前に(15年か16年ぐらい前)「本の雑誌」に紹介されていた、ある古本屋の¥100均一本の棚にあったものを購入。

この青木正児さんは漢文学者でかなりの食通であり、食物や酒にかんするエッセイをまとめたのがこの本、それも専門の漢文の教養に裏打ちされている。

そのなかでも出色なのが「陶然亭」という短編小説、戦前に京都にあったとされる架空の居酒屋の話である。それは陶然亭の主人が大陸放浪後、京都の知人宅に身を寄せていたある日、友人と飲みにいった店で、その店の常連客が、揉んだ浅草海苔に花鰹そこに山葵に醤油をかけそれを舐めながら、ぐびりぐびりと呑んでいるのを見て陶然亭系経営のシステムを思いつき、陶然亭を開店した。そこは酒飲みの理想の店だった訳だ。

陶然亭が書かれたのが昭和21年・22年だから、酒も肴も入手困難な時期だったのだろうな。

下戸な私でもこんな店があった呑みにいってみたくなる。

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2005年11月01日

下流思考

下流社会 著:三浦 展 光文社

マーケッターやらプランナーという肩書きの人物には何やら胡散臭さがつきまとうと感じていた。ますますその感を強めた。

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2005年10月07日

ディズニー、ネオコン、マトリックス、第二回

マトリックス・リローデットに触れる前に前作マトリックスについて。

あらすじは全人類が生命維持装置につながれ、脳に直接情報を送りこまれ仮想現実を現実として生きる世界、マトリックス。しかしマトリックスは外にある別の現実のなかでリセット可能であり、その事実を知った救世主ネオはウソ社会=マトリックスを打ち壊すため立ち上がった。
監督のウォシャスキー兄弟が日本アニメのファンでありマトリックス内の日本アニメや香港カンフー映画から多数の引用がマニアを喜ばせた。

しかしマトリックスは重要な隠喩をふくんでいる。


 さらに思考を進める。リセット可能性とは、「世界」だと思っていたものの外側に、より包括的「世界」があるのを知る可能性のことだ。とすると、哲学が取り組んできた「形而上学的世界」についての思考伝統と重なる高度な神学問題に、突き当たらざる得ない。
 どんな社会にも古くから、「世界」の外にいる者が「世界」を創ったとの創生神話がある。「世界」の外にいる者(が棲まう「世界」)は誰が創ったかという問題を隠蔽すべく、「世界」の内と外に同時に」所属する「超越論的存在」という特異店(神)が樹立された。
ある主体の意志次第で「世界」はどうとでも創られ得たという「偶発性の思考」に私たちが耐えられるのは、その主体が特別の存在(超越論的存在)だからだ。『マトリックス』のネオが暴れるのは、「世界」の創造者が、人の創ったOS"に過ぎない"からなのだ。
                「絶望 断念 福音 映画」著:宮台真司より


ネオリベ、ネオコンを批判するのは楽ではないな。「超越論的存在」ってたしかカントだっけそれともフッサールだっけ。さてマトリックスについてのおさらいが済んだところで「マトリックス・リローデット」を分析しつつネオコンの問題点を洗い出そう。

マトリックス・リローデットでは救世主ネオは、マトリックスのOSの設計者に会い、マトリックスの真実を知る。最初のマトリックスはシステムが完全だったため行き詰まりやがて崩壊した、そのため次からはマトリックスに不完全性を仕込むことにした、その不完全性こそが救世主ネオで、そのネオの革命=更新を繰り返すことでマトリックスはその世界を維持し続けることがだきた、そして今のネオが六代目だという。この仕組まれた不完全さが問題なんだよ。

ネオコンランドでは、アメリカ一国強行主義が怨念を生み、それがテロを生み、それが不安を生み出し、さらなる強行を促す。
強行主義→怨念→テロ→不安→再び強行主義、これの繰り返しだ。これがネオコンが世界に仕込んだ不完全だ。
そして本来「超越論的存在」がいるべき場所にネオコンが居るということだ。
我々が世界に従うのは世界が「超越論的存在」が世界を創ったという前提があるからだ、もしこれが同じ社会にいる人間が「超越論的存在」の居るべき場所に居座っているとしたら、そして世界のリセットが彼らの意志で可能だとしたら、それを認めることができるだろうか。

うーん、なんか凄くややこしい説明になってしまったな、いずれ何かの機会にすっきりとまとめることにしよう。
 



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2005年10月01日

ディズニー、ネオコン、マトリックス

pfaelzerweinさんはネオリベラリズムにかなり警戒心を持っておられるようだ。たしかに80年代から現代に至るまでのアメリカ・イギリスの様子をみれば、特に最近のカトリーナによる惨状を見たならば用心深くもなる。

ネオリベラリズムは内政において再分配による怨念緩和よりも、優勝劣敗の肯定による権益移動を肯定し重視する。これを外交に展開するのがネオコンらしい。
簡単に言ってしまえば、ネオリベラルは内政において1.福祉カット、2.高所得者優遇。ネオコンは内政ではネオリベ路線を踏襲しつつ、ネオリベ路線を世界へと言う事だろうか。

アメリカン・ディストピア 著)宮台真司×神保哲生:春秋社、この本にその事が面白く解説されている。曰くネオコンはディズニーランドに例えられる。

実際のディズニーランドはアドベンチャーランド、ファンタジーランドなどエリアに分かれていて好きな時に好きな所に行ける。
それぞれのエリアから他のエリアは不可視になっている、ただしシンボルのシンデレラ城だけは各エリアから見ることができる。
ディズニーランドは地下に汚水処理システムや物流システムの様なエリアからは見えないインフラによって支えられている。

以上の事を踏まえた上で、デズニーランドをネオコンに例えてみる。
シンデレラ城はネオコンで、ここは地下のインフラをもコントロールしている。
ディズニーランドの住人は世界はディズニーランドであると情報操作されている、世界=ディズニーランド、国家・社会=各エリアと言う訳だ。

ディズニーランドのインフラから外れたエリアの人々がディズニーランドの住人になりたいと言えば、シンデレラ城の主人は、誰もがディズニーランドの住人になりたがっているならば邪魔をする無粋な奴らは排除してやろうじゃないかと言う。
ディズニーランドではシンデレラ城の主人の設計した最低限の自由と人権がある、厳しい条件付きではあるが。多少のことに目をつぶれば何がいけないのか?となる。

そこでネオコンのなにがいけないのかを分析するためのサンプル、マトリックス・リローデットの登場である。

続きは次回
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2005年09月09日

今だから読んでみたくなった

銀河英雄伝説を再読。

しかし、今読み返すとフェザーンの存在が興味深い。2つの超大国に挟まれた通商国家で、経済と術策によって2つの超大国を裏から操る。さらにフェザーンの裏には、ある宗教組織が存在している。

今は信長の棺よりこっちを読みべきだろう。
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2005年07月29日

名も無き問題達

演劇入門 
著者:平田オリザ 講談社現代新書

ガラスの仮面で演劇に関心をもったので、読んでみた。

これは物の見方・考え方として参考になる。

現代は戦争・貧困・差別と言ったテーマでは何かを語るのが困難な時代である、しかし個々人には内在するなんらかの問題や言語化されないテーマがある。それを戯曲にする事によって明らかにできるのではないか?

もう一度、熟読してから詳しく述べてみたい。
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2005年07月25日

ガラスの仮面2

ガラスの仮面にはまってしまい、文庫本を一日一冊買っているがいつも行く書店はガラスの仮面がほぼ完売状態である。

今「奇跡の人」の巻を読んでいる、以前読んだ時は何気なく読み飛ばしていた。しかし今回再読してみるとマヤと亜弓がヘレン・ケラーの奇跡の瞬間を理解・表現することに苦労していたことに共感した。確かにヘレン・ケラーの中で水と言う物質とwaterと言う言葉が結び付いた瞬間を理解し表現するのは難しいだろう。言わば至高体験とも言える。だいたい我等凡人は、大多数がそんな至高体験は実感する事なく一生を過ごすことだろう。

ということは演劇や芸術は我々にそのような至高体験を、一面あるいは一瞬でも味あわせてくれるものなのだろうか?ニーチェもこんなこと言ってたかな。
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