2007年09月08日

あずまみちのくの2

気になったことというのは、奥野健男さんが右大臣実朝のなかの「平家はアカルイ。」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ暗イウチハマダ滅亡セヌ。」の実朝のセリフを捉え解説している、奥野さんも体験した、戦争末期の異様な明るさである。これは、坂口安吾も堕落論で書いている。

当然なのだが、この異様な明るさについて語るものはあまり無い。

これは私の想像でしかないが、この異様な明るさというのは05年の郵政選挙の浮かれかたに似ていたのではないだろうか。
posted by 秘密組合員 at 02:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うーん、戦争末期の「異様な明るさ」とはどんなものか、我々の想像の及ばないところですな。ただ年齢が一つ違っても戦争体験はまるで違うらしいので、誰もが「異様な明るさ」を感じていたのかどうかよく分からないですが…。

子供の頃は戦争が終わって14年も経ってから生まれたのだと思っていたが、この頃は14年しか経ってないところで生まれたのだと感じるようになってきた…。(ため息)
自分もあと3ヶ月遅く生まれていたら、「1960年代生まれ」と言えたんだけどね。(苦笑)
Posted by donald at 2007年09月09日 21:52
donald さま、こんにちは。

そうですよ、14年ぐらいあっという間ですよ。考えてみると、オムム事件から今年で12年ですからね。最近のスピリチアル云々などという流行をみていると、すでにあの事件は風化しているのかと思います。

昭和30年代もこんな感じで、戦争の記憶が風化し始めていたのでしょうかね。
Posted by 秘密組合員 at 2007年09月11日 21:15
まったく、オウムも阪神大震災も風化してると言ってよいでしょう。(スピリチュアルなあの人は、どう見ても詐欺師の顔だけどなあ)

記憶の風化は想像力で何とか補いたいものです。戦争の記録映像を見ると、正気の沙汰とは思えないわけですが。しかしどんな異常事態であろうと、それが日常になってしまうと人間はその異常な日常を生活してしまうのだなと。今の平和の中で自分のつまらない生活を不満に思うのは、あの時代を生きた人々に申し訳ないとも感じます。
Posted by donald at 2007年09月12日 22:09
donaldさま、いつもありがとうございます。

私の親父はよく日曜日の午後、うどん粉を捏ねて夕食にスイトンをつくり戦時中の話をしていました。

親父としても、戦時中の話をどんな形でも聞いて欲しかったのでしょう。

もちろん、ちゃんと聞きましたよ。
Posted by 秘密組合員 at 2007年09月13日 00:47
すいとん。本格的。(笑)

別な話。最近何となくブログのブームは終わった感じ。自分もそうだし人様もそうだし、あんまりコメントとか付かないし。それはいわゆるアルファブロガーでも一時ほどでは無いなと。
だから、縁があって何となく見ているブログにあんまりコメントが無いと、自分が書いておかなきゃと、ゆる〜い義理感みたいなものも生まれつつあります。(笑)
Posted by donald at 2007年09月16日 08:59
donaldさま、毎度ありがとうございます。

そうですね私自身、一時期ほど熱心では無くなったし。

04年05年頃は政局だとか、事件だとか、なにかと熱い時期で、その時期にブログがはまったと言うのかな。

昨年あたりから皆さん冷静になったのかな、とも思います。
Posted by 秘密組合員 at 2007年09月19日 22:46
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。