2007年10月22日

同調圧力礼賛

最近、空気とかKY良く聞くが、嫌な感じだ。

例えば、ナチス政権下のドイツやスターリン時代のソ連やポルポト政権下のカンボジアで空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。とりあえず、山本七平の「空気の研究」を参考書にしてさ。
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2007年10月16日

殴られて嬉しいか

文系ヘタレの私にとって、しごき、イジメ、体罰の横行する体育会は人外魔境か地底獣国のごとき魔界、できるだけかかわりたくない世界である。

体罰肯定の根強い世論は確実にある、「くどくど説教されるより、一発殴られた方がいい」とか「あの時殴られたから、今日の自分がある」などという人物は貴方の近くにも恐らくいるだろう。

時津風部屋事件の余波で今の所は、体罰に対して否定的な世論だが、事件が風化すると上記のような声が多くなることは予想できる。

科学的なデーターや、医学や心理学にもとづく理論で彼らに反論するのは簡単だが、納得させるのは難しいだろう。では何故難しいのだろうか。

反撃を許されない状況で、一方的に暴力を受けるのは理不尽なことだし、その理不尽さをそのまま受け止められる人は少ない、体罰に関するセンチメンタルなフィクションは沢山あるから、それを利用しつつ彼らは体験加工する、体罰が暖かい思い出となるわけだ。

体罰を不愉快で理不尽な体験として受け止め、教師や父親に大昔の体罰について、いまだにあれは納得できないと抗議して、相手を戸惑わせている私の様な存在はあまりいないだろう。

かつてコリン・ウィルソンが、サルトル(皆さん憶えていますか)を引用して、ある種の犯罪者の心理を説明していた。事実を自分の感情で歪めて解釈するやりかたで、それを「魔術的思考」という、そして彼らはその感情や思考が間違えてている可能性は考えない。

体罰を肯定する世論の思考は案外これに近いのでは無いだろうか。私に言わせれば魔界の思考だ。

藤井誠二さんの「暴力の学校倒錯の街」は福岡県飯塚市で起きた体罰事件のルポだが、ここで体罰肯定の世論の愚昧さがレポートされている。

体罰、これも暴力の問題だ。





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